2015年4月24日金曜日

『落語と私』桂米朝 著(文芸春秋、1986)


落語入門書の先駆けともなった、
米朝師匠の『落語と私』です。

落語にあまり接したことの無い人向けに書かれていますが、
落語ファンが読んでも目から鱗の面白さがあります。




まず、見開きのページに
米朝師匠の渋くて恰好良い写真が載っています。
三味線を持つ仕草だと思うのですが…。


・「はじめに」は『落語と私』という本のタイトルにふさわしい内容です。落語と出会い感じたことなどを綴られています。2ページ足らずの文量ですが体験に基づいた言葉は本当に人の心を打つのだなと思いました。


・「プロローグ」(序章)は、
落語の今昔話をさらっと書かれて、
その後、落語初心者からよくある質問を、
箇条書きで8つ記されています。
この質問の答えは、本を読んでいる内に明らかになっていきます。


・第一章「話芸としての落語」
他の話芸と落語の違いを分かりやすく丁寧に書かれています。
落語の特殊性について触れられているので嬉しくなる部分です。


・第二章「作品としての落語」
落語の作品そのものにスポットを当てて説明されています。
サゲの分類は無意味、などかなり刺激的な話も有ります。
(サゲを〇〇落ちと名付けるのは無意味でないとも)。


・第三章「寄席のながれ」
落語の寄席の歴史から現代に至る流れを紹介されています。
「余裕がうみだすユーモア」では、
前座、シバリ、食いつき、モタレ、トリ
それぞれの役割があって、
役割を超えることはしてはいけないということです。
山あり谷ありのカーブを描く高座が寄席の楽しみを
生むのですね。
 それは余裕が無いと出来ないことで、
この頃は、前後を考えず余裕が無い手一杯の
落語をする人がいると書かれています。
 私は余裕が無いのはお客さんの気持ちも
同じではなのではないかと思いました。
最近、寄席や落語会で良い意味でゆるい空気が無くなって
来たような気がします。

「本来、落語の持っているユーモアとか洒落ッ気というものは、
みなこの余裕から生まれてくるもの」
と米朝さんは書かれています。
落語の良さを忘れたくない私は、
余裕を持って過ごしたいなあと思いました。


また「客席とのほのぼのとした交流」が、
大変興味深かったです。
米朝さんは寄席の重要性を力強く説いています。
地域寄席の主催者が読んだら嬉しくて泣いてしまいそうな文章が
書かれていると思います。


・第四章「落語史上の人びと」
落語史を語る上で欠かせない名人たちについて、
コンパクトに書かれてあります。
名人の名前が太字なのも、大変親切です。


・エピローグ「言い足りないままに」
古典化する落語の将来を案じつつも、落語の魅力について
語ってくれています。ストーリーの面白さ、所作から想像できる世界、
季節や、ちょっとした風景描写まで表現できると。
「だから落語はやめられない」というタイトルを見ると、
なるほどなあと思いました。




中々、『落語と私』という本の内容をまとめられずに居たら、
アマゾンの感想(カスタマーレビュー)※リンク先はページ下部へスクロールして下さい。
これは! と思った文章を見つけました。

「若い人向けに書かれているせいで、語り口はとてもやさしい。
しかし落語の本質を、実演家ならではの視点できちんと捉えている。単に易しいだけの入門書とはひと味もふた味も違うところだ。」

パラムトゥギさんという方が書かれた感想の一部です。
全文をお読みになりたい方は上記リンク先へ飛んで下さい。




個人的に気になったこと

『落語と私』は名著です。
しかしブログタイトルに掲げた1986年(昭和61年)は再版された年で、
元は1975年(昭和50年)に出版された本です。
古い本ですが、錆びない魅力が沢山つまった本だと
私も思います。

ただ、「鰍沢」を三遊亭円朝作だと、伝聞の形ながら、
書かれている点が気になりました。

今は円朝作という説と、
そうでないという説の二つを併記するのが主流です。

私は志ん生さんの発言(※)から、
後者の方が有利になって来ていると思っています。


※『落語の世界1 落語の愉しみ』(岩波書店、2003)
P115


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